1. 概要
情報学領域概論科目「情報通信技術のデザイン」を開講した。平成25年度から数えて三年目である。本科目の一つの大きな目標は、個々の人間が全てを理解するにはあまりにも複雑となった情報通信技術の設計原理を包括的に理解し、整理することである。講義は、一昨年度・昨年度と同様に、招待講演を含む情報通信技術に関する講義、ワークショップ、高校生への発表会により進められた。講義・講演により様々な事例を知ることでそれぞれの参加者が設計原理に迫るとともに、ワークショップと発表会により各講演テーマが基づいている設計原理に関する理解を参加者間で共有、深化させた。
講義では、専門分野ごとに分化して発展してきた設計方法論の共有が現状なぜ困難であるか、また情報通信技術の一層の応用の広がりのためには、設計方法論の共有・協調が今後どのように必要となるか、について具体例に基づいて学んだ。このために、「情報通信技術のインフラストラクチャ」、「ソフトウェアとインタフェース」の二つの観点から、招待講演を交えた講義を行い、設計方法論に関する考察を行った。
ワークショップにおいては、情報通信技術が用いてきた設計原理に関する我々の仮説、すなわち、(1)複雑さを制御するための階層的抽象化、(2)論理を物理で実現する際のトレードオフ、(3)受容性を高めるための人と社会の模倣、(4)実社会とサイバー空間の自発的な関わりを促すためのエコシステム、を軸として、各人の理解を共有、整理した。本年度は、各設計原理を講義内容で説明するのではなく、逆に各講義内容を各設計原理で理解することで、情報通信技術の設計原理が社会の中にどのように浸透しているか議論した。また、発表会には京都新聞社の記者が見学に訪れ、2015年7月25日(土)付けの京都新聞朝刊の教育面で、京都大学が挑戦する新たな高大連携としての紹介記事が掲載された。
2. 招待講演
本年度の招待講演は、原田博司先生、井上愛一郎先生、武田浩一先生、新部裕先生、塚本昌彦先生にお願いした。これら5名の先生方の講演について以下にまとめる。
【ワイヤレス通信のデザイン(原田博司先生)】
ワイヤレス通信のデザインについて、研究開発から始まり商用化に至るまでのプロセスに主眼を置いて、ケーススタディを交えた解説をいただいた。特に、新たな通信規格を作る際にターゲットとなるマーケットの選択やIEEE標準化委員会の実情など、技術面だけでなくグローバルな視点を中心としたプロセスの説明が中心的であった。
設計プロセスにおいては、無線機関連企業のマーケットに関する経済的影響を検討するレイヤーや、電波伝搬のような技術的課題を検討するレイヤーなどに明確に分かれている。これは全体をグローバルな視点からの設計においては、包括的にすべてを設計することが困難であり、ある程度多層化しなければならないからだと考えられる。これは一つの階層的抽象化であると見なせる。また各レイヤーの中では、多数の制約に対応するためのトレードオフも課題となる。例えば、標準化においては意図が異なる企業や国の集まりの中で、世界標準を作る必要があり、ある程度妥協が必要になる。
【スーパーコンピュータのデザイン (井上愛一郎先生)】
スーパーコンピュータ「京」のデザインについての講演である。この授業では、一昨年度にも京のデザインについて安島雄一郎先生にご講演いただいたが、安島先生は信頼性を確保するために効率的にプロセッサを接続するインターコネクト技術に関しての解説が主であったのに対し、井上先生は京に限らずスーパーコンピュータを設計する際のコストや電力を用いたシステム性能の試算についての説明が中心であった。特に、半導体の歩留まりや価格、回路網の遅延と大きさ・電力・動作周波数など様々な要素を元に単純な計算で、スーパーコンピュータの性能が分かってしまうというのが印象的であった。
いずれにしても、電力やコストの問題など、論理を物理で表現する際のトレードオフが設計原理として関係するところは安島先生と同様だが、スーパーコンピュータにおけるトレードオフ関係を数式によって表現するところは、昨年度に学生から提案された「事象を説明する最小限のモデルを用いて性能や効率を向上させる単純化」が関係する部分であるといえる。
【Watsonのデザイン (武田浩一先生)】
IBMが開発した質問応答システム「Watson」を例として、コグニティブ・システムに関して解説いただいた。これまでは人間がプログラムした決められた命令しか行えなかったプログラムが、高度に複雑化することで、さまざまな社会システムや人の高度な認知的判断の支援まで行えるようになった。ワトソンの場合は、クイズ王を超えるだけでなく、人間が思いつかなかったような料理のレシピを新たに作ることも出来るようになっている。
これは、情報通信技術の浸透によって生成されるようになったビッグデータを用いて、機械学習の精度が実用可能なレベルに達したことが要因である。すなわち、情報通信技術によってデータが生成され、生成されたデータの活用によって新たなデータを生み出すエコシステムの形成こそが、コグニティブ・システムの原動力となっている。
【オペレーティングシステムのデザイン (新部裕先生)】
オペレーティングシステムと、それを構成する様々なオープンソースソフトウェアの設計について解説いただいた。驚くべきことに、オープンソースのコミュニティにおけるソフトウェアは、あらかじめ何かを意図してデザインされたものではなく、個々人のせめぎ合いの中で最終的に環境適応したものだという説明がなされた。特に、せめぎ合う個人は、ソフトウェアデザインのコントロールが可能であると考える人々と、コントロールは不可能であると考える人々が存在し、これらのインタラクションが最終的なソフトウェアの形を決めているという結論であった。
これは、オープンソースコミュニティの形成自体が、設計原理の一つの「実社会とサイバー空間の自発的な関わりを促すためのエコシステム」として機能し、その中でソースコードやソフトウェアの選択淘汰が行われたものであると言える。
【ウェアラブルコンピューティングのデザイン (塚本昌彦先生)】
ウェアラブルデバイスの進化が社会生活をどう変えるかという説明を中心に解説され、シンギュラリティ(技術的特異点:コンピュータの知性が人間の知性を超える時点)に関しての言及もあった。
これまでのコンピューティングはコンピュータ内の仮想空間に対するものであったのに対し、ウェアラブルコンピューティングでは現実世界を舞台として、人々の生活を補助し、人間の能力を拡張する。ウェアラブルデバイスが人間の実社会の生活に浸透するためには「受容性を高めるための人と社会の模倣」が必要となる。塚本先生独自の見解として、シンギュラリティとしてのウェアラブルの進化の行きつく先は、コンピュータによる人間の進化であり、超越(transcend)であるということだった。
3. ワークショップ
招待講演で学んだことを視覚化するために、7月4日~5日の2日間のワークショップをデザインイノベーション拠点(京都リサーチパーク)で開催した。昨年度の経験を引き継ぐため、昨年度履修者から2名のTAをお願いした。ワークショップは、例年通り、各人が最も重要と感じるICTのデザイン原理を報告し、次に興味を同じくする学生でグループを構成した。ここまでは昨年度と同様である。昨年度までは「階層的抽象化」「トレードオフ」「人と社会の模倣」「エコシステム」のようにデザイン原理ごとにグループが分かれていたが、本年度は「ウェアラブルコンピューティング」「オペレーティングシステム」「ワイヤレス通信」「LSI」のように招待講演のテーマごとにチームが分かれた。各チームで招待講演テーマについてデザイン原理を用いて議論し、ポスターにまとめた。
このワークショップの目標は、情報通信技術のデザイン原理を十分に咀嚼し分かりやすく伝えることである。7月8日には、ポスター発表のリハーサルを行った。このリハーサルには昨年度の発表会に参加した三人の高校生も参加し、ポスター発表に改善を加えた。7月15日には、京都市内の西京高校、堀川高校から約20名の学生を招待し、デザインファブリケーション拠点(吉田)で発表会を行った。発表会には京都新聞社の記者が見学に訪れ、2015年7月25日(土)付けの京都新聞朝刊の教育面に掲載された。一昨年度・昨年度に引き続き、西京高校の藤岡健史先生には大変お世話になった。昨年度同様に、発表会は高校生を交えたミニワークショップも行われた。今回は、高校生も大学院生と同様の発表スタイルでミニワークショップの結果を発表するなど、昨年度よりも本格的なものになった。
高校生に対するプレゼンテーション
高校生とのミニワークショップ
本年度も、発表会の後日に参加した高校生から以下のような感想が寄せられた。
■今回の情報のデザインスクールで、あやふやであったことを明確に知ることができた。難しい内容も多かったので、もう少し砕いてほしいと思った。また来年も参加したいと思った。
■先日、デザイン学の“不便益”について講義を聞いていたので、その話かと思ったけれど、違う内容でよかった。はっきり言うと、とても難しかったし、レベルが高かった。でも、とても楽しかったし、興味を持てたり、刺激をもらえるいい機会になった。
■内容がけっこう難しくて理解できなかったところもあるので、もう少し噛み砕いて説明していただきたいです。でも、大学でどのような勉強をするのかということが少しだけ分かったし、発表を聞いた後にグループでしゃべったとき、自分はあまり意見を出せなかったけれど、周りの人の意見を聞いて、色々な視点から物事を見ることができました。また、自分が自分の意見をまとめたり発表したりする力がまだまだなことを改めて実感しました。今回、京大に行かせていただいたことによって、目標がより現実味を帯びてきたし、私もレベルの高い議論を重ねて、答えを見つけ出していくというようなことをできるようになりたいです。今回少ししか時間がなくて、大学生とあまりお話できなかったので、もう少しお話する時間を取って、大学の生活のことなどについても聞きたかったです。大学生とお話をできる機会というのはめったになく、貴重なもので来年もこの企画を実施してほしいです。そして、私はそれまでに物事を多角的に見る力と自分の意見を言う力を身につけていきたいです。今回は本当にありがとうございました。
■発表内容を一度聞いていたこともあり、今回は昨年よりも聞きやすかったです。ポスター発表を聞いて、質問をする時間がもう少しあればよかったかなと思います。(質問を考える時間が必要だった。)ワークショップは、昨年もですが、壮大なテーマを短い時間で話し合うので、大変だなと思いました。特に印象に残ったのは、ウェアラブルコンピューティングについての発表です。やっぱり、単に「すごい!」と思えるものが興味を引くと思います。来年も余裕があれば、参加したいです。
■昨年度に比べて、コンピュータ系が多いという印象を受けました。昨年度はその場所(プレゼンやワークショップをやった所)の紹介や説明があったのに、今年は何故かなかったのが少し気になりました。この前の土曜日に行った時よりも、分かりやすくて内容も濃くなっていたので、行った甲斐があったなと思います。なかなか聞くことのできない説明を聞きに行けたのは、とても貴重な体験でした。今回聞いたり話したりしたことを少しでも覚えておいて、これから生かせたら、と思います。
■昨年と共通して思ったこと
・グループワークをもっと長い時間したかった。
・グループワークでも、高校生には思いつけないような話を、院生の方々にしていただきたかった。
・(専門的なことに限らず)京大のことや普段の生活などもきいてみたかった。
今年参加して思ったこと(昨年と比べて)
・昨年のように、あの建物の中にある機械を紹介して欲しかった。
・全体的に昨年の方が楽しかった(これは先生がEPⅡの授業であのように言ったから書いているわけではないが、昨年の発表会について先生がどうお思いなのかも気になった。)
・ポスター発表では、自分がしばらく物理を勉強していなかったからか、話の内容は理解できるのだけれど、頭になじみにくい気がした。内容とは関係ないが、発表の時に声が小さい人や感情がない人がいて、もったいないと思った。発表の仕方の勉強もしたらいいと思う。
・グループワークでは昨年よりも夢みたいなことを話せなかった。それは私の頭が固いからかもしれない。(去年も書いた気がする。)ポスター発表でもグループワークでも、技術の「限界」というものを昨年より考えていた。
■発表会にはほとんど基礎知識・予備知識のない状態で行ったのですが、だいたいの内容を理解することができたと思います。(もちろん、難しくて何を言っているのか分からないのもありました。特にLSIとか難しかった。)ワークショップでは色々な人と話せて、よかったです。具体的に情報通信がどういうものか少し分かった気がします。
■「情報通信技術のデザイン」とあるので、デザインの工夫などについての発表会だと思っていたが、イメージとは違った。4つの項目はすべてこれからも私達の生活に関わっていくことだと思うので、文系の私も興味を持って聞くことができた。どのような職業に就くにしても、知っておかないといけないことだと思う。ただ、詳しい内容というよりは、歴史(進化)の部分が多かったり、事実を述べているのが主で、意見を持ったり、考えを深めたりすることは少し難しかった。
■ポスター発表では、コンピュータ内の機構に関する説明だったが、発展的な内容だったので、ある程度そのテーマについて知っていればためになったが、OSについての発表はそのもの自体の概念を知らなかったので、よく分からなかった。もう少し分かりやすいところから説明していただけたら、もっと良かった。
■遅れて行ったので、ほとんど発表は聞けなかったけれど、交流の時に質問をしたら、丁寧に分かりやすく教えてもらえて、とても良いことが聞けたと思う。進路で、物理系に行くか、情報系に行くか迷っていたけれど、今回の発表会へ行って、情報系に行こうと決めることができた。
■予想していたより少人数でした。話を聞くだけかと思っていたけれど、みんなで話す機会があったので、知識がより定着しやすかった。また、皆の前で発表する練習ができて良かった。次同じようなことに参加したら、もっと自分から話せるようにしたい。
(講義担当:佐藤高史、石田亨、村上陽平、荒牧英治、大谷雅之)