講師:藤倉 達郎 教授(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)
インスタント・ラーメン(即席麺)は1950年代に日本で開発され、世界に広まった工業的食品である。本発表では即席麺がどのように人々に受け入れられ生活/生存の一部になっていくかをアメリカの学生や囚人、パプア・ニューギニア都市部の貧困層等を例に考えていく。また、スローフード運動等と対比しつつ、即席麺メーカーによる「インスタント・ラーメンは世界を救う」という主張を検討する。
日時:2015年11月6日(金)10:30~12:00
場所:京都大学 総合研究2号館3階 ケーススタディ演習室
総合研究2号館のアクセス(34番の建物)
主催: 京都大学デザイン学大学院連携プログラム
企画:山内 裕(経営管理大学院 准教授)
問合わせ先:yamauchi[at]gsm.kyoto-u.ac.jp(山内)
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報告:
報告書(PDF)
参加者: 56名
インスタントラーメンというものが、様々な文化の中でどのように理解されているのかに関する研究をご発表いただいた。藤倉先生がフィールドとされているネパールでは、80年代の子供のおやつは大豆やとうもろこしのポップコーンであった。その後、それがインスタントラーメンに変わったという。子供はインスタントラーメンを欲しがり、親も自分の子供だけ持っていないと恥しいので、買い与える。インスタントラーメンはこのように世界中に浸透してきた。このようなことを見た体験から、藤倉先生は、共同研究者のFrederick Errington、Deborah Gewertz先生と一緒に、『The Noodle Narratives: The Global Rise of an Industrial Food into the Twenty-First Century』を執筆された。
Sidney Mintzが『Sweetness and Power』で示したように、カリブの植民地で奴隷労働を使って砂糖を生産し、その砂糖をイギリスの労働者に与えることで、短い休息の間に血糖値を上げ、また労働を開始できるようにするという「Proletarian hunger killer」という概念が、インスタントラーメンでも妥当するかを検証した。
米国では、インスタントラーメンは興味深い存在であるという。子供のころや若くてお金のないころにインスタントラーメンを食べ、成熟したら食べなくてもいいというような言い方がされる。“Ramen profitable”とは、スタートアップが、経営者や従業員がインスタントラーメンだけを食べて生き延びれるぐらいの利益を上げているということを示し、その後成功するともっといいものを食べることができるということを示唆している。同時に、インスタントラーメンは学生時代の思い出や、キャンプで家族と食べた思い出などと想起する。また、刑務所では多くのインスタントラーメンが消費されているという。売店で売られ、ある種の通貨のようにも使われる。
パプアニューギニアでは、他の途上国と同じようにBOP(bottom of pyramid)の所得層がよく食べるようになっている。パプアニューギニアでは、これまでオーストラリアやニュージーランドで生産されたlamb flapsという安くて油の多い肉が多く好んで食べられていた。このlamb flapsは白人は食べないが、白人が生産し自分たちが食べているという両義的で、スティグマのついた食べものである。しかし、インスタントラーメンはそのような両義性がないという。
これまでコカコーラやマクドナルドは、各地で強烈な反発を受けてきた。しかし、インスタントラーメンに関しては、そのような動きは見られない。逆に、オバマ大統領も食べているというアメリカンスタイル、エリザベス女王も食べているというイギリススタイルなどという商品が出され、世界中の人がみんな同じものを食べているという想像的な共同体感覚がある。
結論としては、インスタントラーメンは世界を救うことはないだろうが、それでも食料にアクセスの限られた多くの人の助けとなることができると考えられる。
最後に、これをもう少し理論化するために、Actor-Network理論のMutable Mobilesという概念を適用できるのではないかという議論が提示された。つまり、インスタントラーメンは、どこに行っても同じアイデンティティを保つようなものではなく、各地に行くとその地で形を変え、違うように使われるようなものとして存在しているのかもしれない。