日時:2015年1月23日(金) 16:30~18:00
場所:総合研究8号館 講義室1
総合研究8号館のアクセス(59番の建物)
講演者:田村 大氏
(株式会社リ・パブリック 共同創設者・共同代表
東京大学i.school 共同創設者エグゼクティブ・フェロー)
主催: 京都大学デザイン学大学院連携プログラム
担当者:山内 裕(経営管理大学院 講師)
yamauchi[at]gsm.kyoto-u.ac.jp ([at]を@に変えてください)
講演概要:
グローバルイノベーション都市へと変貌を目指す福岡市。その中核的な取り組みである、INNOVATION STUDIO FUKUOKAの一連の活動を紹介し、市民が企業や大学、自治体と密接にコラボレーションしながらイノベーターとして育ち、世界へと羽ばたいていく生態系のデザインについて解説する。参加型デザイン、オートエスノグラフィー、ラピッド・プロトタイピング、リーン開発などの方法について、実践的な知見を議論したい。
講演者略歴:
株式会社 リ・パブリック 共同創設者・共同代表、東京大学i.school共同創設者エグゼクティブ・フェロー。1994年、東京大学文学部心理学科卒業。2005年、東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。学部卒業後、株式会社博報堂に入社。研究職として、ビジネスイノベーションに資する質的研究手法=「ビジネス・エスノグラフィ」の体系化と普及推進を手掛け、エスノグラフィーブームを呼ぶ。2009年、東京大学に日本初のイノベーション教育プログラム「i.school」を立ち上げ、ディレクターとしてプログラムの企画・運営を指揮した。2013年、博報堂並びに東京大学を退職。地域や組織が自律的にイノベーションを起こす生態系づくりに向けたThink/Do Tank=株式会社リ・パブリックを設立。現在、市民・企業・大学・公的機関が一体となって新事業を輩出するプラットフォーム=「イノベーションスタジオ福岡」の立ち上げに奔走する。
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講演報告:
報告書(PDF)
Re:Public Inc. 共同創設者であり、東京大学i.school共同創設者である田村大氏に講演をしていただいた。特に、福岡市と一緒に、福岡をイノベーション都市にするために、様々な活動をされている。
まずイノベーション都市としてCopenhagenのような例が示された。世界一のレストランと言われているNoma、インスリンで世界No1であるがNovo NordiskのNovoPen Ecoのような事例が紹介された。そして、Copenhagenを目指し、連携している福岡を同様のイノベーション都市にするという試みが紹介された。市民発のイノベーションを生み出すため、Innovation Studioを運営されている。40名の市民と専門家を組み合せて、デザインしていく。日常の中のスポーツのデザインやライフコースのイノベーションなどの事例を紹介いただいた。
イノベーションとは何か? 田村氏は「人間の行動・習慣・価値観に不可逆の変化をもたらすアイデアの普及」と定義する。アイデアを思いついてそれを投げつけて成功するものを選ぶのではなく、新しい行動、習慣、価値観から出発し、逆算してアイデアに結びつけるという考え方である。その例として、IDEOの著名なKeep the Changeなどが紹介された。IDEOのデザイナーはお金が貯まらない人は買い物の回数が多いことを発見した。それなら買い物をする度にお金が貯まればいい。そういう発想だった。Appleもこれを実践している。技術としてどういう世界が可能かを考え、それに向けて商品を考える。これにより、成功の確度が上がるし、企業としてもAppleのように事業をフォーカスし製品ポートフォリオを小さくできるという。
最後に、今後の世界情勢がどうなるのかにまで議論が及んだ。特に中国で、日本におけるトヨタや韓国のサムソンのような産業をリードする企業は現われないという議論が紹介された。アリババがその可能性があるが、アリババはマーケットプレイスである。中国の強さは、マーケットプレイスであるということである。深圳では製品を製造するための雑多な企業が集まり、そこに仕様を持ち込めばすぐに製品化できる。技術やノウハウもオープンなので、大きな企業が出現するよりも、雑多な企業がうごめいている。義鳥(イーウ)では、50万種類の軽工業品のうち40万が取引されており、店頭で商品を見てこれをいくら欲しいというと、製造を依頼できる。このような製販一体のマーケットプレイスが中国の本質である。
福岡では、北欧型のQuality of Lifeを追求するイノベーションと中国の製販一体型のマーケットプレイスの両方と結びつき、イノベーション都市を作りたいということであった。