数種類の使用対象者をあらかじめ想定し、その人達が問題無く使えるよ うにチェックしながら設計を進めるというだけで、本当に良いのか。 想定されなかった人を初めから排除しているという意味で universal とは逆方向に進んでいるのではないか。
Universal PlayThing など、「予め使用対象者を決め込む」こと無しに デザインする方法も知られている。これは遊具だからこそ可能なのであ って、工業製品一般には不可能なのだろうか。
当初の思想からズレていない方法を色々調べてみると、一般に「使用者 とのインタラクションから創発する現象」を利用しているようである。 予め定められた使用方法を厳密に遵守させるのではなく、使用者に よって様々なインタラクションを許す。
作り込むことなく、様々なインタラクションを許すには、使用者への 拘束を緩めてやればよい。ただし、緩ければ緩いほど良いのなら、 棒キレやフロシキが究極のユニバーサルデザインになってしまう。 そうではなく、いい感じの「緩さ」が様々な物事を引き起こすはずだ。 たとえば畳のフチが茶の湯ではホストとゲストの境界とい うアイデアを創発させるように、縁側が家人と他人のコミュニケー ションサイトとなっているように。
このような仮説を検証するために、まず計算機科学の中では
「インタラクションからの創発」が不可欠な分野である人工生命に目をつけ
(なにも虫のように蠕く工業製品を作りたいわけではない)、
その研究動向を知るために
会議
に出席し(→蛇足)
、その足でユニバーサルデザインの街
Karlsruhe での現地調査
に向かった。
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